阿含経に悟りを開くため八十八煩悩の消滅が説かれていることに由来しているといわれ、他に諸説があります。33仏と55仏を合わせたものとする説。インドの根本8塔の10倍に根本8塔を加えた説。「米」の文字を分解したとする説。熊野の99王子大辺地になぞらえて四国辺地が八十八の数になったとする説などがあります。いずれにせよ八十八カ所は、弘法大師が42歳の厄年に、自信と人々の厄難を除くために開創されたと信じられています。

四国遍路に関するさまざまな伝説の中でも有名な話が衛門三郎(えもんさぶろう)伝説です。
この話によると、衛門三郎が四国遍路を最初に廻った人ということになります。


衛門三郎の像

 むかし、伊予の国(愛媛)に衛門三郎という大きな庄屋がいた。秋のある日、汚い僧が門に来て、鈴を鳴らし、『食べ物をください』と、鉢をさし出した。ところが衛門三郎はけちな男で、断った。それでもその僧は、何回も来た。八回目に衛門三郎は怒って鉢を投げつけたら、鉢は八つに割れた。不思議なことに、その翌年、衛門三郎の一番上の子が病気になって急死した。衛門三郎は泣き悲しんだ。すると、その次の日には二番目の子が、おかしな病気になって死に、3日めには三番目の子も急死し、衛門三郎は八人の子持ちだったが、子供が皆死んでしまった。

 衛門三郎はたいそう嘆き悲しみ、寝こんでしまった。ある日、弘法大師が夢に現れて、『お前がしてきたことを悔い改めて、情深い人になれ』と言われた。衛門三郎は、先日の乞食みたいな姿の僧は弘法大師だったと、気付き、大師に会うために四国巡礼の旅に出て行った。 四国を20何回か廻って、阿波の焼山寺の前で力尽き倒れていた。その時、すぐそばで声が聞こえた。『衛門三郎よ、これでお前の罪は消えた。お前の命もこれまでだが、何か望みはあるか』と言う方を見たら、お大師さまが立っておられた。『ありがとうございます。子どもは皆死に、望みは何もありませんが、後生は大名に生まれ変わり、今度こそ人のために尽くします。』と言った。お大師さまは望みをかなえてやろうと、小石に梵字(ぼんじ)を書き、衛門三郎の手ににぎらせた。やがて衛門三郎は息を引取った。その後、伊予の河野家に男の子が生まれたが、右手に石をにぎっていた。この石を納めたお寺を石手寺(松山市)と呼ぶようになった。また、右衛門三郎の墓標の代わりに遍路杖が立てられたが、それが今、大きな杉の木になって高くそびえている。(焼山寺への途中の杖杉庵境内)