寂庵だより 今月のことば

7月号 この世は美しい

 この世は美しい。人の命は甘美である。
 釋迦のことばである。
 釈尊は80歳で涅槃に入られたが、最後の旅を、従者のアーナンダを連れて霊鷲山からクンナーラまで行かれた。
その旅の途中でこの言葉をつぶやかれた。この世は苦だと説かれていたが、晩年の釈尊は、この世も人間も肯定
しておられたということである。

6月号  煩悩せざらんことを

煩悩せざらんことをほっせば、今須べからく煩悩すべし。思量せざらんことをほっせば、今須べからく思量すべし。
中国、宋の大慧宋杲(だいえそうごう)著、「大慧普説」巻4のことば。
息子を亡くした宰相の湯思退に大慧が語ったことば。子に先だたれた逆縁ほど親にとって悲しいものはない。
大慧は悲しみにもだえている湯思退に向かって、あなたが悲しいのは当然だから、今、存分に泣きなさい。
泣いて泣いて泣き尽くしなさいと言った。ありきたりの言葉より、こう言ってくれる方が大きな慰めになったであろう。

5月号  一筋に正直の道を

「一筋に正直の道を学ぶべし。正直の人には、諸天のめぐみふかく、仏陀神命の加護有りて、災難を除き、
自然に福をまし、衆人愛敬、浅からずして万事心に叶うべし」
 鈴木正三の「四民徳用」の中の商人日用の文。
 正直の道とは、世間の眼のあるなしにかかわらず、表裏のある生き方をせず、懺悔と回向をして、自他のために
着実な努力をしていくことで、良い結果が自然にもたされるといっている。

2月号

「一切の迷いは」 一切の迷いは,皆身の贔屓故、迷いをでかしまする。身の贔屓を離るれば、一切の迷いは出で来はしませぬ。

江戸、盤珪永琢(1622−1693)の盤珪禅法語、上巻より。
私たちが生きている中で、たくさんの煩悩に迷わされ続けている。すべて自分の欲望を適えたいという自分可愛さの欲望から生まれたものにすぎない。身贔屓という欲心も捨ててしまえば、すべての迷いは生まれるわけがない。

1月号

 「己を顧みて己を知れ」 いかなほど物知りたりとも、己を知らず派は、物知りたるにあらず。
鈴木正三(1579−1655)のことば。

 自分のことを反省して、本当の自分自身を知れ。たとえ知識が広く、様々な事をよく知っていても、自分自身が本当にわかっていないなら、物を知っているとはいえない。他人のあらはよく見え、自分の事がまるで見えないのが私たち凡人である。
素直な心でものを見、自分をかえりみる時、本当の自分が見えてくる。自分を知り、世の道理をわきまえた人こそ物知りというのである。

 

 2001年

3月号 
 「露の世は露の世ながらさりながら」
小林一茶『おらが春』の中の句。一茶は、文政元年五月、五十六歳で長女が生まれている。
孫のように可愛がったこの子が、翌年の六月に病気で亡くなってしまった。
 悲しみの極みで詠んだのがこの句である。
「この世は露のようにはかないものだとは、かねがね知っていたけれど、それにしても可愛いわが子がこんなにはかなく死んでしまったとは。何という悲しいこの世のはかなさであろうか」という悲しみの心をそのまま詠じたものである。「さりながら」の五文字に込められた一茶の逆縁の歎きの悲痛さが心に迫ってくる。

4月号

 「或いは国土に天網のごときもの有り、世界の成敗の現ぜざるは無し」
インドの大乗経典『華厳教』巻六にあることば。
この国土には天の網がかかっていて、世間に行われているすべての正邪善悪のことは見透しで、裁きは厳正に行われる。人の行いはすべて天網が見ていて、その光に照らされ、その目を逃れることは出来ない。人に見つからないと思って悪事をしても、必ず天網にとらえられてしまう。

5月号
 「勝てば怨みをかう。負ければ苦しむ。勝敗を捨てて、心の安らいだ人は幸せにすごす」
 インドの原始経典『ダンマパダ』201。
人は生きている限り、何かしら勝負を強いられている。人と競う勝敗の心を捨てれば楽になるのはわかっている。しかしそれを捨てられないのが人間であり、この世の生存競争に勝たなければみじめになるのが社会生活である。そこに宗教が生まれる。

6月号

 「草木を伐れば波逸提なり」

 インド戒律聖典『パーリ律』の中のことば。波逸提(はいつだい)とはサンスクリット語のパータヤンティカの写音である。戒律の中では軽い罪で懺悔によって許されるものであった。みだりに草木を伐ることは、不殺生の戒律を犯すと考え、波逸提の罪に当たるので、懺悔して仏に許しを乞わなければならないという戒律である。自然破壊を平気でつづける今の世の中でこの罪を犯している人間の行為を深く懺悔しなければなるまい。

7月号

 「結縁、不結縁に関わらず、皆是仏子なり」

 中国、随の天台智?(583−577)の説。この場の縁は、もちろん仏縁で、生きているうちに仏の縁にめぐりあえる者が、結縁者である。しかし、人々の中には、生涯、仏の教えに気づかず、あるいは、反抗して、仏縁を結べない者も大勢いる。しかし、仏の慈悲の目から見れば、すべての人は皆、仏の子で、共に救われるよう見守ってくれている。

8月号

 「他人が怒ったら」

 他人が怒ったら、気を落ちつけて静かにしているがいい。

それが愚人を制止する道だ。インド・原始経典「相応部経典」にあることば。

 昔、神々と阿修羅が口論になった。阿修羅は「他人の怒りを制止しなければ愚人はますます猛り怒るから、厳しく罰し、制止するのが賢者だ」と主張した。対し、神々が言ったことば。「無力な人は常に堪え忍んでいる。力のある者が力のない者に堪えるのが忍耐であり、最上の忍耐なのだ」

 9.10月号

 「治生産業、もとより布施」

 治生産業、もとより布施にあらざることなし。花を風にまかせ、鳥を時にまかすも功業なるべし。道元著、正法眼蔵よより。

 大乗仏教では、布施は六波羅蜜の第一にあげられる。財施、法施、この他に無畏施があり、これが最も大切である。

政治に従事することも、生産に従事することも、みな布施である。花が風に散り、鳥が季節に応じてさえずるのも、自然をそこなわず、無心にありのままの姿で現れるのも布施の行であり、働きである。